こんにちは、公認会計士の川畑です。
このページでは、私が公認会計士という資格に出会った時から監査法人でのお話をしています。
プロフィールに書くと長ーくなってしまいます。
そしてあまり重要ではない話なので別ページにしました。
公認会計士という職業への出会い
私が公認会計士という職業を知ったのは、高校3年生の時です。
当時はまだ17歳だったのでピッチピチの男子高校生でした。
ちょうど大学をどこに行くかで悩んでいる時期。
父が税理士をだったこともあり「もし税理士を視野に入れるならどこの大学にしようかな〜」と考えていた時だったと思います。
そこで「まあ一応税理士に聞いてみるか」
くらいのノリで父に話をしてみたような記憶があります。
そして父へ相談すると「公認会計士っていう資格は税理士登録もできるよ」という耳よりな情報を得たのが、公認会計士との出会いです話を聞いたのが始まりです。
高校生だった私は「なにそれ、美味しいじゃん」と思ったわけですね(笑)
ということで「公認会計士」「税理士」を目指すのを視野に入れつつ、大学を選ぼうと漠然と決めました。
この頃は公認会計士という仕事自体よくわかってなかったというのが本音です。
中央大学商学部会計学科へ入学
第一志望は早稲田大学商学部だったのですが、驚くほど普通に落ちました(笑)
それでMARCHクラスで合格していた大学の中から、なにを血迷ったのかキラキラ都心大学生活を捨て、八王子の山奥にある中央に進学する事となったのです。
今思えば、当時は公認会計士や税理士を目指すなら、早慶中央明治あたりが理想的でした。
なので山奥での生活とはいえ、結果的にベターな判断だったなと思います。
経理研究所に入所、公認会計士講座へ
中央大学には「中央大学経理研究所」というダブルスクールがあります
大原やTACの様なイメージです。
入学前にたまたまmixiで知り合った、今でも付き合いのある友人たちも入るというので、一緒に会計士を目指すことになりました。
(自分で書いていてなんですが、mixi、めちゃくちゃ懐かしい・・・)
彼らは私よりずっと優秀だったので、みんなに引っ張られる格好で勉強に励んでいました。
あの出会いがなければ、きっと合格できずに今でも中途半端にプラプラしてたんじゃないかなと今でも思ってます。。。
【大問題】全然受からない日商簿記一級
4月の入学から2ヶ月後の6月の簿記の試験。
簿記の簿の字も知らないところから簿記三級と二級のダブル受験をし、両方ギリギリで合格しました。
当時の簿記二級は今ほど難易度が高くなかったので、2カ月合格というのは割と一般的だったんです。
しかし、何を思ったか浮かれまくった私は、簿記一級も余裕で行けると思っていました。
そして大学1年の11月に初めて簿記一級を受験。
結果は当然不合格。なめてましたね。
しかし問題はここからです。
簿記一級というのは公認会計士試験の登竜門的な位置づけ。
だいたいみんなとりあえず一級受かって、その流れで会計士も受かっていくというイメージです。
にもかかわらず、まあ受からない。全く受からないわけです(笑)
結局最初の不合格から、その後4回連続で落ち続けました。
最終的に「一級なんか受からんでも会計士受かればそれで終いや!」と捨て台詞を吐いたのはまた別のお話。
※結局私はいまだに簿記一級を持ってません
簿記一級持ってないと会計士なれないの?と不安な会計士受験生がいたら、是非ご連絡ください。いくらでも相談乗ります。
大学3年の12月公認会計士の短答式に合格
まずは簡単に公認会計士試験の概要について。
会計士試験は1次試験(短答式)と2次試験(論文式)という構成になっていて、1次試験はマーク式の試験で、2次は論述式の試験です。
1次試験は5月と12月の年2回で、どちらかで受かれば2次試験に進めます。
2次試験は8月に1回だけあり、これに合格すると「公認会計士試験合格」の称号が手に入ります。
その一次試験に初めて臨んだのは大学2年の12月のこと。
もちろん不合格です。
その次の5月、3年生になって挑んだ回も不合格。
半分諦めかけました、、、
しかし、なんとか3回目の挑戦となった3年生の12月試験で合格しました。
一次試験(短答)はマーク式なので、その日の晩には各受験予備校の解答速報が出ます。
ということで解答速報と自分の問題用紙を見れば合否がわかってしまうわけです。
あれは試験が終わった後、多摩センター駅のベンチでした。
答え合わせをしていて合格ラインを確実に超えているのがわかった時、死ぬほど嬉しかったのを今でも覚えています。
その後当時付き合っていた彼女(将来の妻なのですが)と、近くの居酒屋で大宴会です。
短答の合格が分かったあの日が一番嬉しかったかもしれません!
大学4年生で公認会計士の論文式試験を受験
そして翌年の8月、大学4年生で2次試験を受験。
結果は不合格(笑)
論文は短答に比べたら楽だという噂に踊らされて、悪い癖が出ました。
まあ言い訳なので「あー、はいはい、わかったわかった」くらいで聞いてください。
12月から4月まで結構遊んでいたのです(笑)
そこからヤバいヤバいと頑張ったものの間に合わず、、、
不合格は自業自得ですが、ただ、ひとつラッキー?というか美味しい出来事がありました。
不合格だと不合格者の中での成績ランキングが出るのですが、なんと11位。
得点率52というのが合格ラインで、まさかの51.95。
仮に上から1000位までが合格したとすると、1011位!!
もう試験委員の匙加減ひとつで受かったかもしれないじゃないか!!!と、落ち込むよりむしろ笑いの方が先に出ました。
今でもこれはネタにしているので、いくつかある私の鉄板ネタの一つを手にすることができたという点で「美味しい出来事」でした。
私は傘の柄だけを手に残して、上を吹き飛ばされたりと「美味しい出来事」が数年に一度起きます。人は不運というかもしれませんが、私はおいしいと思うことに決めています。
大学5年生になることを決意
大学4年の11月に論文落ちが分かってからというもの、前回の反省を踏まえ、死ぬほど全力で勉強しました。
朝8時の大学開門に合わせて登校し、23時の閉門まで昼ご飯の時間以外ひたすら勉強・勉強・勉強・・・
試験半年前の2月末の模試で確実にA判定(一桁順位)を取りに行く。
そういう覚悟でした。
後にも先にもあんなに勉強したことはないかもしれません。
そして迎えた2月模試で何とかA判定を確保。
前回のダメダメだった私からは想像もつかない成果を獲得しました。
そして「これは頑張ればなんとか合格できそうだ」そう思い、就職はせず資格留年をして5年生になることを決めました。
短答式試験に合格していると、8万円で1年間在籍させてくれる上に設備使い放題という中央大学のありがたい制度があったのも理由の一つです。
卒業する同期達を見送り、一人大学に残るのはかなり寂しかったですね。
ただ所属していたサークルの後輩たちが優しく(?)関わってくれていたので、辛うじてメンタルを保つことができました。
大学5年の夏、公認会計士論文式試験に合格
友人たちを見送った翌月4月、TACの全国模試で全国2桁順位を叩き出しました。
相変わらず毎日8時から23時まで勉強付の日々。
自分でもなぜあんなに頑張れたのかさっぱりわかりませんが、とにかく毎日せっせと勉強していました。
この頃は、順位と試験の仕組みを考えると、理論上不合格はほとんどあり得ない状態になって来ていました。
ということで、調子に乗ってさぼる癖が出ないように注意することが最優先課題でした(苦笑)
心の中で「もう明日にでも試験やってくれー」と思うようになってしまっていましたから。。。
そして徐々に8時-23時では夏の試験まで体力というか、気力が持たんなと思い始め、5月あたりからは11時ご~23時という少しゆるっとした感じにシフトさせていきました。
11月が合格発表の日・・・
合格発表の日。
パソコンで受験番号を見つけた時は嬉しさというよりも「ホッとした」という感覚の方が強かったのを今でも覚えています。
私が「現役合格」と言わず「大学在学中に合格」と言っているのはこのためです。
理論上「現役合格」なのかもしれませんが、さすがに4年生まででは?という実態を考慮した上での自主規制です(笑)
公認会計士には高度な倫理観が必要ですからね!!!
監査法人への就職活動
監査法人への就活では、いわゆるBig4と言われる会計事務所をすべて受けました。
Big4とは会計系のファームの事で、具体的期にはPwC、EY、Deloitte、KPMGの4つです。世界の大学生が就職したい会社ランキングで常に10位以内にいるのがこの4社です。
その日本エリアにあるグループ会社が次の4社です
- PwCあらた有限責任監査法人
- EY新日本有限責任監査法人
- 有限責任あずさ監査法人
- 有限責任監査法人トーマツ
ありがたいことに(どういうわけか)4社すべてから内定をいただき、色々悩んだ末にEY新日本有限責任監査法人へ入所することにしました。
EYへ入所後は大手監査チームへ
入所後に最初にメインで配属されたのは、大手石油系の会社の監査チームです。
EYの中でも超超超大手の監査チームへ配属されたのは本当にありがたい経験でした。
そこで公認会計士としての基礎と社会人としての基礎をみっちり叩き込まれました。
巨大な組織がどういう仕組みで動いているのか、どういう体制が作られているのかを学ぶことができたのが、最初の配属先での経験です。
そして異動のタイミングで当初希望していた保険会社の監査チームへ異動。
これまた超大手のチームです。
そこで数千億円、数兆円規模で運用される有価証券の担当をするなど、金融分野の知識をかなり深く学びました。
勉強がてら投資を始めたのもこの時期です。
ついに公認会計士登録
公認会計士試験合格後、実務経験を2年積み、修了補修所の必要単位を取得し、修了考査に合格すると晴れて公認会計士になることができます。
実は試験だけじゃあくまで「公認会計士試験合格者」なんです。
ということで、令和元年の8月に公認会計士登録を完了させました。
2011年に会計士を目指して勉強を始め、2019年に公認会計士登録。
振り返ると8年という長い時間が過ぎていました。
「あー、ついにここまでたどり着いたんだな」と感慨深い思いで、届いた会計士バッチを眺めたのを覚えています。
ITチームへの出向
若干前後しますが、公認会計士登録をする直前の7月。
社会人4年目。
「主査」という現場のトップみたいな役目をちらほら任せていただいていました。
そんな中、お声がけいただき、EYグループのコンサル系の会社へ出向することになりました。
メインの仕事はシステム側から監査を支援するチームです。
そのほか保険会社のデータ分析だったり、内部統制関連の報告書の作成支援に関与するなど色々と経験をさせていただきました。
システム回りにある程度強くなったのも良かったのです。
ただ個人的には、元SEやシステム部門の方というITにめちゃくちゃ詳しい専門家と関われたことが特によかったと思っています。
社会人になって以来、ずっと公認会計士という「村」社会にいたわけです。中途で一般企業から来た別の専門家と関わることは本当に貴重な経験でした。
そもそも自分がしたかったことは?と思い退職を決意
出向先から帰任した後、大手外資系保険会社の主査を任せていただきました。しかし、私の中で「そもそも会計士になって何がしたかったんだっけ?」という疑問が常に頭に浮かぶようになっていました。
監査法人で働く中で、それなりの給料をいただいていましたし、貴重な経験を数多く積ませていただいていました。
しかし監査とは、どうしてもクライアントの敵みたいなポジションです(言い方は悪いですが)。
立ち回りや状況によっては味方でもありますが、基本は会社が嘘をついてないかチェックする立場。
どうしたって距離感はあります。
監査という独立性が必要な仕事ゆえに、支援したくてもできない場面も多くありもどかしく感じていたのもこの時期です。
コロナ禍で相当苦しんでらっしゃる企業の監査もしていました。しかし、監査という性質上どうしても「あれはどうなってるのか、これはどうなっているのか」と言わざるを得なかったのも個人的には悩みの種でした。
このことにしばらく悩んだ末に、やはり同じ方向を見る味方として経営者の方と関わりたいと思うようになりました。
もし私の持つ知識や経験で、どこかの誰かの社長さんやその社員、そして家族の皆さんの人生に関わることができたなら、、、
そういう思いが強くなったことから「やめる」という決断をしました。
そして今日に至ります。
お礼
ここまでが、私が公認会計士に出会ってから監査法人を退職するまでの10年間のお話です。
長かったような短かったような私の人生の一部を記憶から呼び起こし書いてみました。
長い時間お付き合いいただき、本当にありがとうございます。
「川畑文秀」という人間がどうして公認会計士になり、どうして今あるのかが少しでもお伝えできたのであれば幸いです。
今後何かの機会でお会いするあなたと、お仕事やプライベートなど、何らかの形で良い関係が築けたら嬉しいです!
あなたにお会いすることができる日を、心からお待ちしております。
長ーいお話になりますが、「どういう経緯で会計士になったか」「どうして監査法人をやめたのか」みたいな部分をお話し、私という人間の人となりが伝われば良いなと思います。