常識とは何か?教育上「常識」という言葉に注意する

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こんにちは、公認会計士・税理士の川畑です。
本日もありがとうございます!

普通・常識とは何なのでしょうか?そいういうお話です。

今日は天気が良かったので、息子を公園に連れて行きました。

その際に私が口にした「普通」という言葉に自分で違和感を覚えたので記事にしました。

願わくば息子と娘には、普通とか常識に縛られない大人になってほしいものです。

常識とは何か?教育上「常識」という言葉に注意する

今日は息子を連れて公園に行きました。

公園の砂場で遊んでいる息子が、ダンプカーの荷台に一通り砂を入れ終わりました。

そして今度は運転席に入れ始めたわけです。

その時、、、

「おーい、”普通“はそんなとこに積まないぞ」

と、私は口にしていました。

ただ、そのあとも続ける息子を眺めながら、ふと「普通」ってなんだろう?と自問してしまいました。

“普通”に考えると、運転席に砂を乗せることはありません。

しかし、この「普通」とか「常識」という言葉、教育上は気をつけて使わないといけない気がします。

普通・常識に縛られると自由な発想を失い、天才的発想ができなくなる気がしませんか?

天才的発想は常識知らずじゃなきゃできない?

ここから先、なんか親バカじゃね?みたいな内容に感じるかもしれません。

ただ、今回はそういう文脈じゃないことだけ、ご理解ください汗

さて、砂場で私が息子と同じように遊んだ場合、果たしてダンプカーの運転席に砂を入れたでしょうか?

川畑文秀

おそらくNOです。

なぜならわたしには「運転席には砂を入れない」という常識があるからです。

この無意識に積み上げてきた常識があることによって、今の私には到底できないような言葉を息子は平然とやってみせたわけです。

たかが運転席に砂を入れるという行為です。
が、私にとっては思いつきもしない天才的な発想です。

ある意味「常識知らず」でなければできないわけです。

とするならば、常識的な考えに縛られると天才的発想が出来なくなるのかもしれません。

常識は長く生きるうちに経験から得るものなのかもしれません。それでも、少なくとも子供のうちは、親の持つ思考のクセの影響を大きく受けるはずです。

今回は別にたいした話ではありません。しかし、私の中の常識という名の思考のクセが、息子の自由な発想に影響を与えるリスクは無視できません。

やはり普通や常識という言葉は、教育上気をつけて使う必要があります。

どこまで「常識」を教えるべきなのか

ここまで、「常識」という言葉を使うリスクについて考えてきました。

ただ、常識外の発想を持った人間が常識的人間に勝つには、「常識を知った上で非常識」である必要がある気もします。

源義経の常識外の戦略は常識がないと実行できない

話は少し変わりますが、NHKの大河ドラマで「鎌倉殿の13人」が放送されています。

その中で源義経の天才的な策略で平家を打ち破って行きます。

鵯越の逆落としにしても、壇ノ浦の漕ぎ手殺しも「非常識」であることには間違いありません。

ただし、「普通はそうしない。」という常識的な認識がなければ「この非常識が効果的である。」と判断がつかないわけです。

川畑文秀

そうでなければただの無鉄砲、思いつきに過ぎません。

常識の教育方法に気をつけなければならない

義経の例えを踏まえるのであれば、

仮に息子に常識に縛られない生き方をして、常識人間との戦いに負けないで欲しいと思ったとしても、ある程度常識を教育を通じて学ばせる必要があります。

ただ、その教え方には少し注意が必要なのかもしれません。

例えば、常識や普通という言葉を使うことで、物事に対して「特定のやり方や考え方が正解である」というニュアンスを持たせてしまうと思いませんか?

常識とか普通というのは、科学的な答えが存在するものを除き一つの物事に対して星の数ほどある考え方の中で「多くの人が”こうだ”と思う一つの考え方」に過ぎません。

この「多くの人はこう考えるもんだよ」というニュアンスで常識を伝えていく方が良い気がします。

そうすることで、一般的に多数派の思考はこうだけれど、あえて自分はこう考えるという、常識的思考を軸に持ちつつ自由な発想ができるのではないでしょうか?

それに、あまりに非常識ではそれはそれで生きづらいはず。

であれば、簡単に使いがちな「普通」や「常識」という言葉を極力使わずに、一般的な思考を伝えておいた方が良いかもしれません。

編集後記

つらつらと思うがままに書いてみましたが、願わくば我が子たちには自由に生きて欲しいと思います。

この自由に生きて欲しいという思想すら、私の思考の癖に過ぎないわけです。

「こうなって欲しい」という大枠的な親の思いはありますが、新聞に悪い意味で乗らない生き方であれば、まあ良しって感じでしょうか?

私も自分の両親には、自由に生きさせて貰ったわけですから。

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ABOUT US
川畑文秀
公認会計士に大学在学中に合格し、監査法人に6年弱勤務していました。 現在は監査法人を退職し、公認会計士・税理士兼経営コンサルタントとして経営に役立つ情報を発信中。社長業は孤独な仕事です。私はそのパートナーとなるべく活動しています。趣味はゴルフで、ビールとワインが大好きです。