情報の入れ過ぎが合理性という名の悪魔を呼び寄せる

情報の入れ過ぎが合理性という名の悪魔を呼び寄せる
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こんにちは、公認会計士・税理士の川畑です。
本日もありがとうございます!

何かをしたい、何かをしている

そういう時に人は様々なかたちで情報収集をしていきますよね。

ただ、そんな情報収集も、やり過ぎは逆に良くない場合もあるんじゃないの?というお話しです。

情報の入れ過ぎが合理性という名の悪魔を呼び寄せる

情報の入れ過ぎによって、合理性という悪魔が寄ってきます。

プライベートであっても、ビジネスの現場においてもです。

情報収集をするは、基本的には合理的な判断を下せるようになって失敗の確率を下げてくれます。

ただ、情報の入れ過ぎというのは、

  • 自分は本来こうしたかった
  • 身動きが取れなくなってしまった

みたいな感じで自分自身を縛り上げてしまうことがあります。

情報の入れすぎによって合理性という悪魔を呼び寄せてしまうわけです。

合理性という名の悪魔とは?

あなたは何かを知ってしまったことで、

  • 身動きがとれなくなった
  • 本来しようと思っていたことができなくなった

こんなことってありませんでしたか?

川畑文秀

これを合理性という名の悪魔と私は読んでいます。

「合理的に考えると○○すべき」という考えに囚われることで、本来自分がしたかった事が出来なくなる、決断が遅くなる

こういった事象のことです。

知らなければ気にもしなかったこと

合理性は、私たちの趣向とかとは関係なく「合理的に考えると」という謎の理論を盾に、私たちの行動を縛り、邪魔してきます。

だからこそ注意が必要です。

人間は賢い生き物です。

物事を論理的に考えてしまいます。

そうすると、好きで楽しくやっていたのに、ある情報を知った途端に

「それは合理的に考えるとすべきじゃない」

といって、好きなことがやりにくくなってしまうんです。

知らなければ気にもしていなかったことでさえもです。

納豆卵かけご飯が食べられなくなった話

私の話で恐縮ですが、私は納豆に生卵を掛けて食べるのが好きでした。

毎日お昼は納豆卵かけご飯にするくらい。

しかし、ある日知ってしまったのです。

「納豆に生卵を入れると、卵白に含まれる「アビジン」という成分が、納豆に含まれる「ビオチン」と結合してビオチンの吸収を阻害する」という事実を。

これを知って以来、「納豆に含まれる栄養を摂れなくなっちゃうから、生卵をいれるのはやめよう」と思うようになりました。

「合理的に考えて生卵を入れない方が良い」という考えに囚われるようになったわけです。

そして気がつけば、納豆も食べなくなりました。

1〜2ヶ月たったある日、「納豆に卵かけて食べたいよなー、何で食べ合わせ悪いんだよー」とぼやいている際に、ふと我に返ったんです。

「そもそも何で納豆卵かけご飯食べてたんだっけ?」と

そう、私は単に納豆卵かけご飯が好きだから食べていたんです。

別に納豆の栄養を摂りたいから食べていたのではありません。

そう思って以来、納豆には生卵をバンバン入れるようになりました。

アビジンだのビオチンだの、私にとってそんなことはどうでも良かったわけです。

ただ、納豆卵かけご飯が食べたかった。

それだけだったわけです。

今、納豆卵かけご飯が毎日好きなだけ食べられて私は幸せです。

「合理的に考えて」が頭に浮かんだらすべきこと

情報の入れ過ぎは良くないよね、といいつつも、何も情報収集をせずに突っ走って行くのはそれはそれでNG

川畑文秀

目を閉じて走っていれば壁に突っ込んでしまいますからね。

なので、情報収集をやめるんじゃなくて、

情報収集をする中で「自分がこうしたい、こうしよう」と本来思っていたことに対して

「いや、合理的に考えて、、、」という思いが浮かんだら

「本来どうしたかった?」と立ち止まるようにすれば良いんじゃないかと思います。

情報によって合理的に動こうとした結果、本来したかったことからかけ離れるなら要注意。

その情報は参考程度に頭の片隅に置くだけにしておきましょう。

そして、本当にしたかった方の道を進めば良いと思います。

本来したいことを選んだ方が良いシンプルな理由

本来したかったことを選んだ方が良いシンプルな理由は、

その後起きた問題に対して「自分で選んだ道」という自責のスタンスで動けるからです。

逆に、合理性の悪魔によって「本当はこうしたかったけど、やむを得ず・・・」という選択をしてしまうと

発生した問題に対してネガティブな気持ちで受け取りがちになります。

自分の判断を優先すれば、こんなことにはならなかったのでは?
この方法なら上手くいくはずだと思ったのに!

みたいな感じで。

情報収集との付き合い方

もちろん、「情報によって正しい選択ができる」というケースも多いです。

情報収集の結果、命に関わる事、会社の存続に関わるような致命傷を受けそうだと気がついたのに

「俺はこうしたいんだぜ」と我が道を行くのは流石にヤバいですからね(笑)

なので、

情報の入れ過ぎは合理性の悪魔を呼び寄せるんだな〜

と意識した上で、情報と付き合っていけば良いと私は思います。

編集後記

息子が娘に対して、「お兄ちゃんだよ」と言うようになりました。

  • 遊んでいるおもちゃをベビーベッドに置く
  • 顔を突いて声をかけてみる
  • 自分が食べているものをあげようとする

ちょっとずつ「お兄ちゃん」になっているんだなと実感します。

また、娘ですが、ずいぶん巨大化しています(笑)
二重アゴタップタプのザ・赤ちゃんって感じです。

子育てもつい色々な情報に惑わされそうになりますが、参考程度にしつつ、彼らの成長を見守りたいと思います。

子育てというものは、何が正解だったかは結局10年、20年、30年と経ってみないことにはよくわからないですからね・・・

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ABOUT US
川畑文秀
公認会計士に大学在学中に合格し、監査法人に6年弱勤務していました。 現在は監査法人を退職し、公認会計士・税理士兼経営コンサルタントとして経営に役立つ情報を発信中。社長業は孤独な仕事です。私はそのパートナーとなるべく活動しています。趣味はゴルフで、ビールとワインが大好きです。